2013年7月25日木曜日

1.2 幸福

1.2 幸福


1.2.1 幸福とは?

先人たちの珠玉:
喜んで行ない、そして行ったことを喜べる人は幸福である。― ゲーテ
自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。― サイラス
幸福について、辞書編集者,哲学者,神学者たちは,何世紀もかけて幸福を定義しようとしたが,全員が一致して承認できるような定義づけはまだ行なわれていない。ブリタニカ百科事典は,「“幸福”とは最も捕らえ所のない言葉の一つである」と認めている。



1.2.2 私達の幸福の定義

私たちは“幸福”と言う言葉を「深い喜びや満足感を味わい、それを醸し出している状態。その状態ゆえに、どんな環境にも果敢に挑戦し、どんな状況下でも成長し、生き続けることのできるもので、私たちの所有物よりも、むしろ私たちが実際のところどんな人間であるかということに大きく依存するもの」と定義する。
それでは、具合的に幸福に関係ある諸要素を見て行き、私たちの定義の信憑性を明確にしていくことにする。




1.2.3 幸福は所有物から生じない



楽しみ、充実感を得、喜びに満たされ幸福感を味わうには、お金が必要なのであろうか?
それとも、地位や名誉であろうか?


衣食が足りると,人は不節制や肉欲に思いを向ける。― 中国のことわざ

所有している金銭は自由への手段であるが、追い求める金銭は隷属への手段である。― ルソー


本当の幸福は所有物(金銭、有形無形の資産、地位、名誉など)から生じないという考えは受け容れ難いかもしれない。ここに私たちの社会で実際に起こっている幾つかの熟慮に価する実例を挙げてみたい。



1)            一人の芸能人の例
『お金や名声が,果たしてそれだけの価値があるかどうか疑問です。
私はレストランに行っても,写真家や記者や熱狂的なファンに居場所をかぎつけられ,食事を済ませることもできません。
食事はホテルの自分の部屋に届けてもらう始末です。
誘拐されるのではないかと不安で,散歩にも,映画や野球にも行けません。巡業で旅に出る生活は孤独なものです。
できることと言えば,せいぜい部屋でテレビを見る位のものです。
中身が分からないので,私は友人からの贈り物以外は決して自分で中を開けないことにしています。
変な人から送られてきた爆発物かもしれませんからね』。

人気と富を手に入れたとはいえ,この若者は多くを失った。
彼は一時は当たり前のこととして行なえたありふれた事柄をもはや楽しむことはできなくなった。
立場の変化は彼を囚人のようにしてしまったのである。
裕福で著名な人々は多くの信奉者を抱えていながら,真の友人はほとんどおらず,いるとしてもわずかなものである。
人気と富が失せてしまうとその信奉者たちが他の人の所へくらがえしてしまうということは往々にしてあることである。


2)            あるサラリーマンの例
自分の会社内で昇進競争に明け暮れていたあるサラリーマンは、その当時のことを思い起こしてこう述べている。
「私は特に競争意識や出世欲の強い性格でしたので,いつもだれかと自分を比較して優越感を覚えていました。
その人が自分より上のポジションに置かれたりすると,毎日,会社の人事に文句や不平を言っていました。
真の友人などは一人もいませんでした」。

競争心は早死にの原因にもなりかねない。
なぜか?毎日新聞は,過労死とA型行動とを関連づけている。
A型は,せっかち,競争意識,敵がい心などでストレスに対処する行動様式を示す。
米国の心臓病専門医,フリードマンとローゼンマンはA型行動傾向を虚血性心臓疾患と関連づけている。
職場での競争は,ほかにも心身両面の病気の原因になり得る。
日本の大手自動車販売会社のトップセールスマンだった恵之助の場合はその一例である。
累計1,250台の車を販売するという記録を樹立したため,恵之助の写真は額に入れられて本社の重役室に飾られた。
彼自身の中に仲間を踏み台にして出世しようという気は全く無かったものの,会社はこの人を競争へと駆り立てた。
その結果,恵之助は1年の間に胃潰瘍と十二指腸潰瘍を患うことになる。
同じ年に,その会社では15人の管理職が入院し,一人が自殺した。


3)            アンドリュー・カーネギーの例
製鋼業の開拓者、アンドリュー・カーネギーは長年のあいだ多くの人のあこがれの的となってきた。
カーネギーは当代きっての大金持ちの一人だった。博愛主義者だった彼は,巨額のお金を人に与えた。
しかし、カーネギーは幸福ではなかった。ある時,一人の記者がカーネギー氏に,あなたが大変うらやましいと述べたところ,次のような答えが返って来た。
「私は人からうらやまれるような者ではありません。私の富が何の役に立つでしょうか。60歳になり,食べ物を消化することができません。
もし若さと健康が得られるものなら,私の莫大な富を全部差し上げましょう。自分の人生をもう一度やり直すためなら,私は何でも喜んで売り払うでしょう」。



4)            J・ポール・ゲッティーの例
別の億万長者で,石油業界の巨頭J・ポール・ゲッティーも同じ様な主旨のことを次のように語っている。
「金銭は必ずしも幸福と関係があるわけではない。むしろ不幸のほうと関係があるかもしれない」。



5)            アブラハム・リンカーンの例
リンカーンは一国の首都で大統領の職責を果たしたが、彼が暗殺された後,その息子のタッドは父親についてこう語った。
「父はここに来てから幸せだったことなど一度もありませんでした。ここは父に向いた所ではありませんでした」。


幸福に寄与するものは、これら例からも "お金" "地位" "名誉" ではないことはわかる。

では、幸福に寄与するものには、他に何があるのだろうか?



1.2.4 人間らしさとは



1)            認知科学
認知科学では、人間らしい能力とは、人の心を客観的に分かることであると考えている。つまり、目に見えない、他人の心の中を見ることが出来る能力こそが、人間を最も人間たらしめる能力であると考えている。



2)            脳科学
脳科学では、人の脳は意識と言うそれまで世界のどこにも存在しなかったものを生み出す臓器であると考えられている。
他者からの良い評価(他者の報酬)が自分にとってのもっとも大切な報酬であり、その報酬の為に、日夜ニューロンのつなぎ変えをし、他人の心を読み、常に何者かであるフリをする。これらの特殊な機能を演出する仕組みはミラーニューロンとドーパミンである。

人間らしさとは、他者の心を考え、自分の心のありかを探り、日夜相互の利益(報酬)を得る為に最善の方法を考え演じる能力を発揮することであると言える。そしてその最善の方法が、今までにない、意外性や啓発性に富めば富むほど脳の中ではドーパミンが放出され、幸福感を味わうようになるのである。
即ち、他の動物では決して出来ない、人間らしさを醸し出す人間だけの能力とは、創造性である。



1.2.5 幸福は「創造性の発揮」から得られる

本当の幸福は一体何から得られるのだろうか?
私たちは、それが一番人間らしい能力が遺憾なく発揮されたときに得られると考える。

即ち幸福は「創造性の発揮」から得られる


1.2.6 創造性とは

人は0から新しい物を生み出す能力を持ち合わせていない。しかし1から23を造りだす能力は全ての人に備わっている。この個性的で今までにない新たなものを造りだせる能力が即ち「創造性」である。「創造性」は必ずしも新たな物質を作り上げることによってのみ発揮されるわけではない。内面の自分自身を変革する(成長させる)ことや、他者とコミュニケーションを取ることも創造性発揮の所産であり、むしろ新たな物質を作り上げることよりも、意味深く重要な創造性発揮のあり方であると言わねばならない。更に、この「創造性」から造り出されるものは、自分自身を含め関係者すべてを本当の幸福へと導くものでなければならない。
「人が0から新しい物を生み出す能力を持ち合わせていない」ことについては、以下、生物学者たちが述べていることからも理解できる。

「我々は自分たちが思っているような,いろいろな物事の創始者ではないのではないかと,わたしは考えている。我々はただ,既にあった物事を繰り返して行なっているにすぎない」。別の科学者は,人間の工学技術のほとんどすべての基礎的な分野は「生物によって既に開発され,有効に利用されていた。……それは人間の知能が,それらの機能を理解し,修得するようになる以前のことであった。多くの分野で,人間の工学技術はいまだに自然界よりずっと遅れをとっている」。
太古の昔より自然界に存在するものを模倣して発明された物を挙げるならば、空調設備(シロアリの巣)、飛行機(鳥)、羅針儀(ミツバチ・チョウ・イルカ)、電気(アフリカナマズ、デンキウナギ)、ジェット推進(オウムガイ,ホタテガイ,クラゲ、タコ)、回転式エンジン(バクテリア)、音波探知機(コウモリ・イルカ)など枚挙にいとまがない。


1.2.7 創造性と幸福の密接な関係証拠


本当の幸福が「創造性の発揮」から得られるという考えを証明するために、私たちの身の回りで実際に起こっている幾つかの熟考に価する実例を挙げてみたい。

1)            例1
ある子どもが砂場で泥団子を作っている。
試行錯誤しながらも、美しくて丈夫で立派な団子が出来上がった。
本人は自分で作り上げた団子の出来栄えに大変満足して(喜んで)いる。

この例では、団子を作り上げる事自体が創造である。その創造の結果(団子)を見て子供は大いに喜んでいる。


2)            例2
落ち込んでいる友人が居る。
どのように慰め、元気付けることが出来るのであろうか?
また、ある件に関していつも否定的な意見を言う人が居る。
どのように説得できるであろうか?
これらの状況において、私たちは自分が発する言葉が相手に及ぼす影響力について考える。
この例では、人の立場を考慮し感情移入をし、人の心を思いやる思考を経て、言葉を発する事になる。
この "人の心を思いやる思考" を経て口にされた言葉は、その人が今まで思考してきた数ある思考のどれにもない、その時に初めて考え抜かれ存在した、やさしさや気遣いを包含した言葉である。
そして、この言葉は人の心に影響を与え、心を動かし、その人自身の行動にも影響を与える事になる。
即ち、人は自分が発する言葉や行為でコミュニケーションをとることにより、今までこの世の中に存在し得なかった影響力を他の人に与えることが出来るのである。
このコミュニケーション力もまた創造である。
そして、このコミュニケーションの結果、目の前の人が喜ぶ姿や、変わっていく喜びを見て、自分も喜べるのである。


3)            例3
例1で、団子を創造した子どものところに別の子どもがやって来る。
そして作品に惜しみない賛辞を贈る。製作者の子どもはその評価を嬉しく思う。
この時、二人は自分が大切だとみなしているものを同様に重視してくれる友との間で価値観を共有しているのだ。
二人はその後もそれぞれの観点で完成度の高い泥団子を作成するのに助けになるであろう様々な意見を交換し、より良いものを作り出すことと、互いに高め合える友との関係に深い喜びを感じる。
即ち、他者とのコミュニケーションを通して互いに理解し共感し合える時、人は喜びを感じる。また、いずれの例においても創造性を発揮した結果として、創造者に自尊心が形成され、次なる創造への意欲が生まれていることも特筆に価する。
以上の例から、幸福と創造性の相関関係について次の様にまとめた。
人は自分自身の力で新しい物を造り出した時、幸福を感じる。→ 創造である。
人は自分自身の力で新しい物を造り、その物を通して、仲間と共感を分かち合った時、幸福を感じる。→ 創造と共感である。


1.2.8 人が幸福を感じる最も重要な要因

人が幸福を感じる最も重要な要因は創造性である。では創造性は具体的にどの様な特質がどのように結び付き、またどのような鍛錬で身につくのであろうか?自分自身の力で何かを作り出せる人に共通している特質は何であろうか?発明王として名高いトーマス・アルヴァ・エジソン(18471931)の幼少期を一例に考えてみたい。

エジソンは生涯におよそ1300もの発明を行ったアメリカの発明家また起業家である。また、ライフ誌が選ぶ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の1位に選出されている。幼少の頃から神童だったのではないかと思われがちであるが、実際には周囲からもてはやされた天才少年などではなく、近年彼はLD(学習障害)、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を抱えていたと考えられている。そうしたエジソンを支え、人生を決定づけたのは彼の母親のナンシーであった。

幼少の頃より好奇心が人一倍旺盛であったアルヴァの行動は6歳頃には激しくなり,晩年父親は「アルヴァには子供らしいところが少しも見当たらなかった」と回顧している。板切れを持ち出して橋を架けようと試みて失敗し運河に落ちておぼれそうになったり,探検のために忍び込んだ倉庫で穀物運搬用エレベータにとじ込められて死にそうになったりした。またある時は,火が燃える様子を詳しく観察しようとして納屋に放火して火事になることもあった。別のときには、にわとりの卵は暖めればヒナにかえると聞いて自分の体で暖めてかえそうと試し,夜遅くまでにわとり小屋にうずくまっているところを探しにきた姉のマリオンに発見されたり,人間は軽くなると空中に浮くと信じてガスの力で空を飛ぶことができると言って,化学調合した薬を知り合いの子供に飲ませて下痢を起こさせたりといった事件も起こした。誰かに珍しい話や面白いことを聞くと,それが真実かどうかを自分の目で確かめるために精力的に行動し,大人からは生意気だと思われたようである。家族は勿論,通りがかりの大人に向かっても「どうしてそうなるのか」「どこに行けばそれが見られるのか」「なぜ,そんなことができるのか」等と止め処も無く質問を浴びせかけて,アルヴァを知る人は逃げて歩くほどあった。

アルヴァは8歳で小学校に上がったが、学校は革のムチを使った厳しい教え方で,自由奔放に育てられたアルヴァには到底なじめないところであった。登校を始めて間もなく,アルヴァは帰ってくるなり「もう学校へ行くのはいやだ」と泣き叫んだため、母親がその理由を尋ねると,その理由は先生から「お前は気が狂っている」と言われたからだというものだった。実際、数学の時間に「1+1=2]の計算を正確に理解しようとして「なぜ,そうなるのか」と,しつこく聞いて先生を困らせたという有名なエピソードが残っている。アルヴァにしてみれば,この世の中に「1十1=2」にならないものがたくさんあるのに,なぜ,数学だけがそのように割り切れるのかが,理解できなかったのである。アルヴァは自分の目で見たり,確かめたりすることに興味をもち,自分で行動したり,ものをつくったりすることを望んでいたのである。エジソンは後年「たとえ一瞬でも,ものを見ることのほうが,見たこともないものについて2時間も教えられるよりずっと有益である」という言葉を残している。これに対し母親は,アルヴァの言っていることの正しさを認め,かつ、わが子には素晴らしい能力があると考え,即座に学校を辞めさせ、自分自身が教師になって勉強を教える決心をする。

アルヴァが9歳のときのこと、彼は体重計に乗って自分の体重を計りながら,「お母さん,ぼくは小麦1ブッシェル(重さの単位)だよ,だって80ポンド(約40キログラム)だもん」と叫んだ。これを聞いた母親はアルヴァの興味がどちらの方向を向いているのかを見極め,早速,パーカ-(物理学者・年代不明)という学者が書いた「自然科学の学校」という初等物理学の本を彼に与えた。その本には家庭でできる化学実験が図解入りで示されており,これを読んだアルヴァの目は光り輝いていたに違いない。後に彼自身その本が「わたしが少年のときに,真っ先に読んで理解できた最初の本でした]と語っている。次に母親がアルヴァに買って来た本は,古びた「科学辞典」であった。アルヴァは夢中になって読みふけり,小遣いをすべてはたいて化学薬品を買い集めて自分に与えられた地下室を実験室にしてしまったのである。さらには,13歳でトーマス・ペイン(哲学者年代不明)の書いた哲学書をも読みこなし,これらの偉大な思想家たちの考え方を理解することで,自分の生き方の指針とし知識の糧(かて)としていた。また,科学知識の吸収には,万有引力で有名なニュートン(16421727)の書いた「プリンキピア(自然哲学を数学的に解いた書,科学史最大の古典,1687年刊行)」を何度も読み返しており,エジソンの「理論より実践」に重点を置く発明過程に大きな影響を与えることとなった。

エジソンは後年、自分の母親について次のように語っている「母は私がまだ若い時に亡くなったものの、私の全生涯に影響を及ぼしました。幼い私に母が授けた訓練の成果は、失われることがなかったのです。人生の大切な時期に、母が私を正しく評価し、信じてくれていなかったなら、到底発明家にはなれなかったでしょう。私はいつも軽はずみな少年だったので、異なる考え方を持った母親に育てられていたら、どうしようもない人間になっていたに違いありません。だが、母の厳しさ、優しさ、善良さの持つ力のおかげで、私は正しい道を歩むことができました。母のおかげで、今の私ができたのです。母の思い出は終生、私の宝物となるでしょう。」

母親がエジソンを育てあげた根底には「正しい規範」「正しい思考力」「正しい自尊心」という要素が調和よく組み合わされていたことが浮かび上がる。それらの要素がエジソンの豊かな創造性を育んだであろうことは想像に難くない。創造性とは「正しい規範」「正しい思考力」「正しい自尊心」が調和して醸し出される状態なのである。




0 件のコメント:

コメントを投稿