2013年7月26日金曜日

1.6. 創造性の発揮を阻害する負の要因 - 1.6.4 アダルトチルドレン(AC)の連鎖(FUDに心を支配された子供たち)

1.6.4 アダルトチルドレン(AC)の連鎖(FUDに心を支配された子供たち)



我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのにだ。― ラブリュイエール

 
FUDに支配された傾向の所産とも言えるのが、アダルトチルドレンと呼ばれる人々の存在である(すでに日本は一億総ACと言われて久しい)。ACは「条件付きの愛情」と「共依存 (co-dependency)」が特色となっている。



1)            条件付きの愛情

親の愛情が、無条件の愛ではなく何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子供は親の愛を受けるために常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子供の精神を支配する手段として愛情を制限する。 
この手段は子供が成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子供(Adult Children)の精神を支配する。実はこの状況は非常に多くの家庭に存在しており、子供は常に不健全な状況にさらされている。しかし、第三者からは一見してこのような家庭はなんら問題のない普通の家庭として認識される場合が非常に多く、「条件付きの愛」は普通と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であり、最も基本的な精神的虐待である。しかし現実に、無条件の愛を常に実行できるかというとこれはきわめて難しく、健全な家庭を目指すには、いかに「条件付きの愛」を減らせるかという程度問題に注視されるものである。


2)            共依存(co-dependency)

典型的な例として、親が強力に子供の精神を支配する行動が、子供の方も支配されたいという特異な感情を生み出し、親も子供も支配し支配されることに奇妙な安心感を見出して、支配を通して相互依存するという現象がある。これは子供にとって支配に反抗するより支配を受け入れる方が家庭内で波風を起こさなくて済むため、平穏な環境でいるためのサバイバル手段と解釈されている。通常、子供はある年齢に達すると親の支配から脱しようと試みるのが自然な形態であるが、この相互依存関係が強い場合親子関係は成人してもなお、支配の相互関係という不健全な状態が続く。よりわかりやすい表現で表せば、子離れせずに子供を人生の目的とし続ける親とそれを受け入れ続けざるを得ない精神構造を埋め込まれた子供、ということになる。これがひどい場合は親が死亡するまで関係を健全化することができず、極端な例として女性の場合は母親が死ぬまでともに暮らす、つまり一生結婚の機会を奪われることもある。 
 
 
ACであるが故に他人が自分を良い人と評価すれば、自らに存在する価値が生まれ、同時に喜びが生まれると言う構図となる。では逆に他人との関係で人に評価されないときに、この様な人はどうなるのだろうか?その人の存在価値が無いと結論付けることになる。そうなりたくないと言う恐怖(F)、もしかすると自分は駄目な人間なのではないかという疑い(D)が生まれる、自分はいい人になりたいが無理かもしれないと言う自分に対する不確実性(U)等々の感情が心を支配することになる。この恐怖と疑いと不確実性から解放されるためには、自分自身の正当な欲求や感情を殺してでも周りの人たちに好かれ、受け入れられるよう心が必死になるのである。自分がいい人になる為には、自分の子どもも同じように周りの人たちに受けいれられる、良い子でなければならない。多少の感情の起伏や、表現上の違いはあるものの、ACの共依存症であるならば、その人の感情はこの様にFUDに日夜さいなまれる結果となる。更にそうした傾向を持つ人々は、自分自身が世間から嫌われたり、低い評価を受けたりしたくないという利己的な恐怖に動かされる結果として、子どもが持つ正当な欲求や感情をいとも簡単に無視してしまうことがある。     
 

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